思い返すと、私が医療を志したきっかけはドラマで目にした救急救命でした。
私が一番記憶にあるのは、ドラマのコード・ブルーです。困った方を助けるその姿は、ヒーローそのもの。
様々な困った人の期待に応える姿は憧れでした。
しかしながら、小学・中学生の私にできることといえば、絆創膏やテーピングを持ち歩くことぐらいで、テーピングも巻けない、怪我の知識もなく、結局は誰のヒーローにもなれなかったと思います。
少しでも、自分の必要性をみんなに感じて欲しい、誰かに認められたいという想いが先行し、人間性やスキルでなく、小手先だけの手段を選んでいたのかもしれません。
将来は、自分の力で誰かを助けられる知識や技術をつけたいと、医療の道を選び始めたのはそれがきっかけだと思います。
高校卒業間近の進路を決める時期に学力的に医者になれないと悟った私は、悩んでおりました。
医療職と漠然と決めていただけで具体的な職業を知らなかったのです。
そんな時に廊下で出会った担任の先生から「ケンちゃん、理学療法士ってあるで!」と言われたが、私の人生を決めました。
理学療法士という職業も初耳で、リハビリ職というだけの情報だけで大学を受験しました。
大学で学ぶうちに理学療法士には、整形外科、脳神経、呼吸器、小児など様々な領域があることを知りました。
そして、最終学年最後の臨床実習で、私は整形外科のクリニックに行きました。
実習の現場では、腰が痛くて歩けない方、肩が上がらず悩んでいる方など様々な悩みや症状に触れました。
学生の私は悪戦苦闘しながら日々を過ごしておりました。
そんな中、私の教育係だった先生は、患者さんからも人気があり、様々な知識や技術を駆使しながら、患者さんを笑顔にしていきます。
「ありがとう」と言われている先生の姿はとてもかっこよくて、私も先生のようなかっこいい理学療法士になろうと整形外科の道に進むことを決めました。
希望通り整形外科クリニックに就職できましたが、現実は甘くはなく、絶望と挫折の連続でした。
患者さんの顔と名前が覚えられず、すぐに声をかけられず。
当然、症状も覚えることも、前回話した内容も忘れた状態で、相手が何に悩んでいるのかもわからず、天気の話しかできず、リハビリ前にちらっと見たカルテの内容とその場の会話だけでリハビリを行う日々でした。
会話も上手くなく就職したてで治療技術も全くなかった私は、リハビリ拒否を受けることも多かったです。
自業自得ながら自分自身もリハビリをすることに恐怖を感じるようになりました。
上司や先輩もそのことを問題として話題にしていたと後から聞かされました。
治療技術など医療職である前に人として人間関係を作ることにつまずいていたのです。
そこで初めて、自分自身が自分の見え方ばかりを気にして相手のことを考えない生き方をしていたことに気づくことができました。
しかし、気づいたところで一朝一夕でよくならなかったのはいうまでもなく5年以上たった今でも甘い自分が出てくることに注意する日々です。
その後、治療技術を磨いた私は、自分のペースで施術を提供していき、多くの方に広めたいと思い整体院 明価(めいか)を開業しました。
根本改善を目指す整体院として独立開業してからは、どうすれば初回に来院された方に信用を得ていただけるのか、患者さんの症状をどのくらいの頻度や回数で改善できるのか、自分の力で患者さんの希望は叶えられるのか、改善できる限界はどこまでなのかなど様々な選択と決断を体験しました。
また、理学療法士時代は患者さんを最初から最後まで一人で担当することが少なかったので気づきにくかったのですが、自分一人が最初から最後まで施術を行う中で、施術の期間が空くと症状を繰り返してしまう方が少なくなかったことです。私はそのことに大きく愕然としました。
私が理想に掲げている「痛みを繰り返さないように根本的に改善する整体」とはかけ離れた現状だったのです。
仕方がない方がいると割り切りつつも、私としてはなんとか長い期間維持できる方法はないかと考える中で、日常生活指導の内容を明確にする必要があると感じ、様々な方法を模索しました。そして、偶然観たYouTubeで、ゆるかかと歩きに出会ったのです。
ネイティブウォーキング協会が開発した「ゆるかかと歩き」は外反母趾で悩む方のみならず、万人の方に必要な歩き方であることはすぐに理解することができました。
ここに求めていた根本改善へのヒントがあるのではないかと思った私は、実際に歩き方を学ぶことにしました。
ゆるかかと歩きは、まさに衝撃でした。今まで歩く際に感じていた足の重さや足の指の負担はなく、とても軽く歩くことができたのです。
そして、この歩き方は確かに理にかなった動きであり、多くの改善実績も出ていたため、「この歩き方を多くの方に広めることで歩くのが楽になる方が増えるだろうな」と確信しました。
日常生活指導が大切だという医療機関や施術院が多い一方、お客さんに聞いた限りでは、しっかりとした土台のある日常生活指導をしている施設はとても少ないです。
結果として、根本的に改善しない患者さんと以前の私のように根本的に改善できない医療機関や施術院が数多くあるのではと考えた私は、私自身が最後の砦として、多くの方の助けになれる、喜んでもらえる、人の期待に応えられる方法があるとすれば、この歩き方を伝えることだと思えたのです。
だからこそ様々な施術院の中から私の整体院に来院された方には「ここを選んで良かった」と言ってもらえるように最善を尽くしたいです。